羞恥心


いま、世の中に必要なのは「恥」を感じる精神ではないか。
なんてことを、いまさらながらに考える。


かくいう僕も、恥ずかしいことだらけで、
就寝前に過去の所業を思い出すと赤面してしまって眠れないが、
それでもやっぱり、恥をかくというのは大切なことだ。
弱いものをいじめるのは恥ずかしいし、
人の心に土足でふみこんでしまうのも恥ずかしい。
だけど、恥をかいてよかったな、ということも多い。


恥ずかしさは、ある種の精神的な余裕でもあるから、
それを感じないというのは、危機的な状況だとも思う。
もちろん、開き直らざるをえない場面もあるけれど、
恥じつつ開き直るのと、恥じることなく開き直るのは、まったく別物だ。
視点を変えてみると、自覚的な開き直りは、恥の表現でもあるから、
そこは相対するものとして武士の情けをかけるべきだろう。
いや、かけてほしいな。ホント、お願い。


一方、無自覚な開き直りには、つける薬がない。
指摘も必要だが、基本的には、自分で気づくべき領分なのだろう。
だからこそ、常に「恥」の意識をもてているかどうか、
自問自答することが必要だと思う。
というわけで、今夜も、人生のささやかな反省会がはじまるわけである。
オトナって、大変だな。