90年代の清算(その3)


はじめに言葉ありき。僕にとっての高校時代は、言葉だけしかなかったといっても過言ではない。妄念。情動。憤怒。怨嗟。その調べは、モーツァルトよりもサリエリに近い。思えばすでにあの頃、僕は自身の才能というものを見限っていた。平凡であるという自覚は、たやすく屈折した青春に接続する。たまらず自分を抑えきれなくなったときは、ノートに殴りかかるように文字を連ねた。言葉はすぐに鋭く反撃し、キリキリと胃の辺りを侵食していく。賢くはない生きる実感。だがひねくれた心はいつもどこかで、美しいものを夢見ていた。


その心情を的確にいい当てた作品もあった。『オペラ座の怪人』。大学時代、劇団四季の舞台を名古屋まで観に行った。ファントムのねじれた愛情は、クリスティーヌに届くどころか、恐怖に近い拒絶を呼び起こす。僕は自分の心が恐ろしくなった。長い夜、煙草をくわえて朧な月を見上げると、胸の奥でじんわりとした熱を感じた。バーボンを流し込むと、その火は燃え上がるよりも、むしろ落ち着くようだった。


あれから10年が経ち、僕は煙草を止め、バーボンはスコッチに変わった。それでもときおり、じゃれあうようにワイルドターキーを飲むことがある。昔は荒々しかった友人も、いまでは丸くなり、肩を抱いてくれるような気がしている。(つづく)


オペラ座の怪人(日本語キャスト)

オペラ座の怪人(日本語キャスト)