『リヴィエラを撃て』/高村薫


日本推理作家協会賞日本冒険小説協会大賞受賞作。
高村薫は一貫して「自分はミステリを書いているつもりはない」と語ってきたが、30歳になったいま、その言葉の意味が少しはわかるような気がする。彼女が描くのは、人生をなかばあきらめつつも己の尊厳のために闘う男たちであり、その舞台として犯罪や政治が選ばれたにすぎない。“ミステリ作家”としての高村薫は『レディ・ジョーカー』が絶頂期だろうが、“小説家”としての彼女のキャリアは、まだはじまったばかりなのだろう。


本書では「白髪の東洋人スパイ」である<リヴィエラ>をめぐり、IRAやMI5、MI6、CIAなどが暗躍するが、そのなかで物語の主軸となるのがジャック・モーガンである。IRAの闘士を父親にもつジャックは、自らもテロリストとして殺人に手を染めるが、彼には確たる思想というものがない。ただ、自分の置かれた状況に流され、一種の諦念をもってCIAの諜報員である<伝書鳩>とともに、父親の仇である<リヴィエラ>を追う。組織の中での「個」は裏切り者でしかなく、ジャックのこの感情は、MI5のキムや警視庁外事一課の手島とも共通し、物語のなかで響きあっていく。まるで壮絶なシンフォニーを聴いているかのようだ。彼らは鋼のような意志をもちながらも、国家(組織)というものに虐げられた者たちである。


そんな男たちがかろうじて生きる希望を失わないでいられるのは、妻や恋人と、父親がわりとなる男たちの存在があるからだ。ジャックにはリーアンという恋人やゲイル・シーモアのような父親役がおり、キムには内縁の妻とMI5の上司であるM・Gがいる。手島にとっての妻や、モナガンもそういった存在だろう。そして生き残った手島は、ひとつの決断をする。この20数年にわたる、長大な父と子の物語には、もっともふさわしい結末だ。高村薫が描く男たちは美しすぎる精神をもつが、だからこそ、読むものの心をうつ。


リヴィエラを撃て(上) (新潮文庫)

リヴィエラを撃て(上) (新潮文庫)