『脳と仮想』/茂木健一郎


いや、これはすごいな。ここ半年ほど、考えてきたことの回答がここにはある。それはリアルとは何か、であり、その対極をなす仮想とは何か、ということでもある。「人間にとって切実なものは、実はほとんど仮想の世界に属している」。後頭部をガツンとやられたような衝撃が、冒頭からやってきた。


けっして神秘主義ではない。その感覚が、僕にはよくわかる。断絶から出発するコミュニケーションが、いかに「現実」に帰結するか。数量化できない何かを求めて、僕の魂はさまよっている。失われた記憶にこそ、切実な何かはある。近代科学が、幸福を実現しえなかったとは思わない。しかし、僕の感じる赤と、彼女の感じる赤は、どこまで同一のものなのか。その断絶を考えると、ときおり、絶望がやってくる。


しかし、茂木は語る。


一見逆説的なことに、すぐれた芸術作品には、どこか、人の心を傷つけるところがある。人は、芸術作品に接することで、積極的に傷つけられることを望むとさえ言えるのである。
傷つけるといっても、もちろん、心ない言葉にように不快な形で傷つけるのではない。その瞬間に、何かが自分の奥深くまで入り込んで来たような気がする。ああ、やられたと思う。その時の感覚が何時までも残り、脳の中で、何らかのプロセスが進行しているのが感じられる。その過程で、世界について、今まで気づかなかったことに気づかされる。優れた芸術は、そのような形で、私たちの心を傷つけるのである。(P.79)


断絶という絶望があるからこそ、人間はそれを乗り越えたときの喜びを実感できる。それが一瞬の幻想に過ぎないとしても。僕の言葉は、誰かに、届くことがあるのだろうか。それもまた、幸福な仮想のひとつである。


脳と仮想 (新潮文庫)

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