ヴィンテージ



成人式に父が贈ってくれたのは、ソムリエナイフだった。
娘へのプレゼントとしては、気障な部類に入るかもしれない。
そもそも、私は父の前でお酒を飲んだことがなかった。
もしかしたら、下戸かもしれないのにね。
不思議といえば不思議な気がしたが、そういうこともあるだろうと、
丁重に受け取ることにした。


あの頃の私は、まだ幼かったのだ。


それから二十年後、父は病気で他界した。
半年の闘病生活の末、静かに息を引き取った父は、
骨と皮ばかりとなって帰宅した。
喪主をつとめた母は、最後まで気丈に振る舞い、涙を流さなかった。


昔ね、あなたが生まれるずっと前。
大学の銀杏並木を歩いていたとき、
お父さん、とつぜん、あなたが好きだって告白してね。
お母さん、びっくりして泣いてしまったら、
あの人、すっかり取り乱して、すみません、すみませんって謝るの。
とってもおかしくて、仕方のない人だなぁって、笑っちゃった。


翌日、私は父の書斎を訪れた。
奥の小部屋に、宝物がしまってあるという。
細長い扉を開けると、そこには家庭用のワインセラーが置かれていた。
20本近いボトルが静かに眠っている。
手に取る前から、予感はあった。
1966年。
ビートルズ来日の年。
そして、私のヴィンテージだ。


本当は成人式に、渡すつもりだったのよ。
でも、不器用な人だったから、ね。
直前に恥ずかしくなって、ソムリエナイフだけ渡したの。
まったく、もう、仕方のない人。


ぽん、という軽やかな音とともに、
閉じ込められていた時間が流れはじめた。
私と、同じ時を過ごしてきたワインだ。
生まれてきてありがとう。
ぽつり、心の中でつぶやいた。
母は、ぼんやりと庭の桜の木を見つめている。
空いたグラスに、二杯目を注ぎながら、尋ねた。
お母さん、また生まれ変わっても、お父さんと結婚したい?
彼女の頬は、ほんのりと赤らんでいる。
素面で聞かなかったのは、娘の情けというやつだ。